日本、韓国(朝鮮半島の歴史を学ぶ)
日清・日露戦争をどのように認識すべきなのか?

私は古い世代の人間です。韓国に関してはどちらかと言えば親近感をもって活動していたのが右翼団体を率いていた時代です。
自ら韓国に渡り、38度線の付近で韓国の農村部の仕事を手伝い、ボランティア活動にも参加した経験を持つ。当時は空襲警報が鳴り響き防空壕に避難した。
朝鮮半島は北と南に分断され、韓国が日本の共産化を防ぐ防波堤と信じていたころでした。親韓派とみられ、読者の人にも非難された当時のブログは大騒ぎでした。
その私が韓国を嫌いになったのはノ・ムヒョン大統領の時代でした。
韓国の自殺した前大統領・盧武鉉氏は日露戦争を、日本が韓国を侵略するために始めた戦争などという歴史認識を発表しました。正直この時、私は韓国を見捨てました。
少なくとも韓国が日本との友好を望むのであれば、この歴史認識だけは撤回してもらわねばなりません。もし、日本が韓国を併合せずに、ソ連によって支配されていたら彼らの運命は非常に過酷なものとなったことだけは間違いないのです。
朝鮮半島の併合については、日本は何も謝罪する必要などありません。もし、日本が朝鮮半島を併合していなかったとしたら、朝鮮民族の国家など戦後の歴史の中には存在さえもしていなかったことだけは確かです。
旧ソ連の共和国や中華人民共和国の中の一自治区としては存在したかも知れませんが、独立国家として認められなかったことだけは間違いないでしょう。
スターリンは朝鮮民族を遠く中央アジアへ、シベリア鉄道を使って移動させました。旧ソ連の崩壊後、沿海州(極東ロシアの日本海沿岸)に戻りつつありますが、その数はまだまだ少数です。
中共には朝鮮自治区があり300万人以上の朝鮮民族が住んでいるとされますが、韓国や北朝鮮への帰属運動は厳しく禁止されています。
我々日本が併合しなければ、朝鮮民族の国家など消滅し、現在に至るも再興されていないのです。感謝こそされ、怨まれるような覚えはないということです。
以上
また、このような事実も紹介しております。
韓国・親日派の悲劇
内田良平(大アジア主義)と利容九
韓国において日韓併合時代に、日本の統治に協力した親日派韓国人の子孫らが持つ財産を没収するというニュースをネットでは多くのブロガーが取上げています。
財産没収の対象となったのは、日韓併合条約(1910年)を結んだ李完用(イ・ワンヨン)元首相ら9人。現在は子孫らが相続している土地約25万5000平方メートルが没収され、韓国政府の所有となる。
同委員会は、2005年に成立した「親日・反民族行為者の財産の国家帰属に関する特別法」に基づき、昨年8月に発足。同時に設置された「親日・反民族行為真相究明委員会」は昨年12月、406人を日本の植民地統治に協力した「親日派」と公表していた。
ここまで「反日」を徹底させる韓国という国家に対して、もう我々日本は見捨てるしかないのだろう。これは韓国は自国民に対しても歴史を遡って制裁を与えているのだから、日本に要求するのは当然だ。
そのような意思を日本に見せつけるために行なっているのかもしれない。そのように考えればこの財産没収になる子孫達は“見せしめ”のためにされるわけで犠牲者とも言えるのではないか。
現代においても、過去の歴史においても、日本に協力した韓国人は過酷な運命を背負わされる。何故にこれほどまでに日本に協力する人間に冷たい仕打が行なわれるのか、そのことについて考えて見たい。
また、今回のこの報道を見て、日本の右翼運動の歴史の中で、本流とされ大きな影響力を持ち続けてきた大アジア主義が、根底から崩壊していくのではないか。そのような感じを抱かない訳には行かない。
明治時代にタイムスリップして見ましょう。
日本の右翼運動は頭山満や内田良平らによって始まった。彼らは西欧列強から日本一国を守るだけではなく、アジアの国々が力を合わせて理想郷を作ろうとしたのです。
この大アジア主義に当時日本に渡っていた「朝鮮浪人」らが共鳴し内田良平の元に結集、全国から日本人の若き志士らが合流し大陸に渡った。
この内田良平の掲げた大アジア主義にはせ参じたのが韓国人・李容九という人物だった。腐敗した李王朝を打倒するために「東学党の乱」が起きるが、この参謀格だった人がこの李容九である。
とうがくとう‐の‐らん【東学党の乱】
1894年、朝鮮李朝末に起こった東学の信徒を中心とした農民の反乱。鎮圧のため李朝政府は清国に派兵を要請、日本も出兵して乱は鎮圧されたが、日清戦争を誘発する結果を招いた。甲午(こうご)農民戦争。
この乱が勃発すると隣国の窮状を放置することは出来ないとして、渡韓して一緒に戦ったのが内田良平達であった。この戦いで二人は意気投合し異体同心の血盟を結び、日韓合邦運動に挺身することになる。
日清戦争に勝利した日本だったが、その代償は賠償金や遼東半島の割譲だけではなかった。朝鮮独立の承認も勝ち得たのである。日清戦争前、朝鮮は清国の属国扱いであった。
ここからは、大日本生産党の李容九先生没後90年周年記念出版原稿から、幾つかの箇所を取上げて見ます。
韓国では、中国を古来より宗主国の如く崇敬し、日本を東夷として軽んずる思想的傾向が強かった。しかし、今次の日清戦争にょって日本が清国を撃破した事実と、同時に知らされた自国政府の無力さ、および世界史の動きに盲目であった間に、アジアに対する列強の侵略などによって、李容九の心は恩讐を越えて、次第に日本へ引き寄せられていった。
日露開戦を迎えると、李朝の東学党大検挙後日本に亡命していた宋秉畯が京城に帰り、開明の士であった尹始炳と結び、日韓同盟の実を挙げんと計画し、「維新会」を組織した。
宋秉畯、尹始炳らは、日露戦争が単に日本とロシアの二国間のみの戦いではなく。ロシアのアジア侵略を防ぐアジア人の戦いであることを喝破していたのである
大東合邦論を根幹とする一進会(李氏が結成した組織)の信念は、日韓の軍事同盟をもってロシアの東漸を防ぎ、アジアの復興の中にこそ、韓国の生きる道があるとするものであった。
しかし、李朝はむしろロシアに傾注し、一進会の理想とは相容れなかった。このため、ロシアと戦う日本軍は、作戦遂行上必要とされた京城から新義州までの鉄道敷設に現地動員もかけられず、作戦は頓挫していた。この日本軍の窮状を救ったのが一進会である。一進会員は鉄道建設に立ち上がった。
この時動員された一進会員の数は十四万九千百十四名にのぼった。その他にも一進会は北進隊を組織し、日本軍輸送隊の一端を担った。これに加わった会員は十万四千五百余名であった。これら会員は北方の荒地にチゲ(荷物を背中に背負う道具)を用いて銃器、弾薬、食糧を日本軍の第一線に運んだのであった。
またその他にも偵察隊として露軍に潜入し、遠くハルビンにまで出動した全点も多数にのぼる。この費用の点は、雇金としてもらったものもあるが、そのはとんどは各会員が自腹を切ったものであった。その数字を示せば、額収雇金、二万六千四百十円、会員の自費金は十二万二千二百七十円にのぼったのである。
このような時、悲劇的重大事件が発生した。一九〇九年(明治四十二年)十月二十六日、伊藤博文がハルビン駅頭で安重根に暗殺されたのである。伊藤博文は維新の元勲である。日本人に与えた衝撃は大きかった。
李容九は、この報に接するや「韓国を滅ぼすものは天なり」と絶句した。早速一進会をとりまとめ、その年の十二月四日、突如「日韓合邦声明」 を発表し、それの上奏運動を急遽展開した。それは、安重根の一発が韓国の亡国につながると予見した李容九の、命がけの祖国防衛運動だったのである。
李容九の一進会と、内田良平の黒龍会が理想とした大アジア主義を根幹とする 「合邦」 の語句は 「併合」 へとすり替えられ、京城の統監府は、植民地に置くべき総督府へと改められた。安重根の一発によって全ての理想は吹き飛び、李容九の決死的奔走にもかかわらず、その危倶は適中したのである。
歴史というものは、その理想よりも単純明快なるものを好む。目下、韓国においては安重根は国民的英雄として銅像が建立され、あくなき理想を追い求めた李容九は、日本に与した売国奴とされている。
李容九が組織した一進会は50万人以上の会員がいたとされ、満州に100万人以上の移民を送った。満州に理想郷を建設しようとしていた日本政府はこれに感激し、李に多額の援助金を申し入れたほどである。
今日、日本人の多くは韓国を嫌っています。世論調査によれば80%以上の日本人が韓国を嫌いだと答えたという世論調査もあります。また、韓国でも同じように日本を嫌いだと答える人が圧倒的に多い。
しかし、我々は歴史上において、このような親日的な韓国人がいたことも忘れてはいけないと思います。
私はかつては韓国には親近感を持っていたこともあります。それは過去ログを見ていただければ分かります。しかし、ノ・ムヒョンの「日露戦争は韓国侵略を目的とした戦争だった」という発言には、今風で言えばさすがに切れました。
韓国はこのような日本に協力した50万人以上の愛国者すべてを、親日派として抹殺しようとしているのでしょうか。もう、言うべき言葉を見いだせません。
さて、このような事実を先ず頭に入れて日本と朝鮮の歴史をたどることにします。
日本とロシアが戦う日露戦争があり、その前に日本と支那大陸の清国との戦争がありました。当時ロシアは南下して朝鮮半島を抑えようとしたが、当時清国が自分の属国と言い張り、明確になっていなかった。
そこで日本と清国は朝鮮半島を巡り、日清戦争が起きて日本が勝利した。日本と清国の戦争は日本が勝利して下関条約で朝鮮半島は日本の影響力に置かれた。
ロシアとフランス、ドイツは三国干渉という圧力を日本にかけてきた。その後、日本はロシアと対立し日露戦争が起きた。
以上が簡単な近代史の歴史であり、朝鮮半島を日本が併合したのも、朝鮮が弱体な国家であったからです。
日本は韓国に恨まれるような歴史的背景はなにもありません。日露戦争も、満州帝国誕生も朝鮮人が日本に協力してできたことなのです。
その歴史を捏造までして自分たちの弱さを認めない朝鮮人はまさにクズの集団であり許せないからこそ、私はこれを契機に反韓国の姿勢に変わりました。
6月22日、日本第一党は東京の韓国大使館、全国の領事館で第一声をあげます。私もそれに参加する予定です。
選挙期間中のこのような妨害行為は即逮捕されますので、十分ご注意ください。